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「人類と哲学」~文明の結末 を読んで

「人類と哲学」岡本裕一朗著

先日、東洋経済の本の紹介雑誌で、池上彰氏が薦めていたので読んでみました。

ユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史」以来、人類の歴史を様々な側面から紡ぎなおす書籍が出版されていますが、この本もそれを意識して書かれていることは著者自身も認めています。
では、著者は何を背骨にして紡いだかと言えば、メディアとそれが影響を与えた人類の思想史を時代の流れを通して書いています。

ホモサピエンスがその他の人類の中で生き残った理由が、言葉の存在が大きいとハラリ氏も「サピエンス全史」の中で書いていますが、この本ではそれを意志を伝える術としての「メディア」の発展史としてまとめています。

平たく流れを記すと
サイン → 言葉 → 会話 → トークン(覚え石) → 記号 → 文字

意味のある言葉を使うことで集団ができ、意味のある記号や文字を持つことで他の集団との交流が生まれる。
いかし、文字が生まれたことでの弊害もある。それは記憶の外部化として、私たちは何気なくメモをとることにより記憶することをしなくなり始めました。その流れは今も続いています。

書き写した本 → 印刷された本
この過程も人類に大きな変化を与えました。
聖書などの書籍は早い時代に生まれましたが、それは奴隷が書き写すことで複製されていました。さらに複製される過程で文字は文節で区切られることはなく、ihaveapenのように記述されていました。そのためその頃の読書は音読(声に出して読む)が基本でした。
それが、印刷技術が発達して文節を入れて、I have a pen. と記述されるようになってから黙読ができるようになり、本は個人で読むものになりました。
それにより、世の中、という考え方が生まれ、考え方を他人と共有することができる社会が生まれました。

写真 + 蓄音 、電信 → 電話 

人は人に何かを伝えるためには言葉にしたり絵にしたりして、意味として伝える事しかできませんでしたが、写真や蓄音機の登場によりそのままをそのまま伝える術を見つけました。
そしてそれを遠くの人にも伝える手段として電信(記号ではあるが)電話が登場します。

マスメディアの誕生
ラジオ + 新聞

それまで人は多くの人に直接何かを伝える術を持っていませんでした。
ラジオや新聞が登場することで、伝える「誰か」を意識することになります。
それが「我々」という国家意識とナショナリズムを形成していったと書いています。

大衆文化の始まり
映画 + テレビ
すべてのメディアは大衆という大まかな括りに向けて発信され、受け手はそれらを無意識的に受け入れることにより大量生産、大量消費の大衆文化が形成された。地球規模で人をつなぐツールとしてメディアが位置づけられ、人類という意識が芽生えた。

インターネット + SNS
 人類の原初に始まった、狭い地域の個から個への情報伝達が、見知らぬ人、見知らぬ場所へ広げることができる時代となった。目の前に存在しない人と、心を通じた共有が可能になる。
メディアの進化により人間の日常行動や思考はどんどんと外部化され、その便利さの中で次第にお互いをお互いが監視しあうことが常態化する。気ままな行動こそが夢となる社会を我々は創り出してしまった。
IOTが進む社会は人間としての営みすら外部化してしまい、生きるということの意味を見失うことにつながらないかが心配である。

目の前にある経済危機や貧困、格差社会など人間が引き起こしてきたリアルな問題は、これまでもそうであったように人間の進化が克服していくと仮定すればこれからの未来を想像することができる。
もしもそれが可能だとしても人生100年という時間はあまりにも長く、生き抜く意志に自信が持てない。
しかし、地球規模での環境の変化は、まだまだ我々の手に負えない領域にある。
それを思い知らせてくれたのが新型コロナの蔓延である。
コレラや天然痘などのパンデミックは過去のことと高を括っていたら、まだまだ我々には克服できない自然の脅威があることを思い知らされた。
これからの我々は遠く近く幅広い視点で、これまで以上に最大公約数を導き出す努力が必要であることを感じた。